上賀茂神社 第42回式年遷宮

 
 

ご挨拶

賀茂別雷神社 第四十二回式年遷宮奉賛会会長
千 玄室 (茶道裏千家大宗匠)

賀茂別雷神社(上賀茂神社)はご高承の通り山城国一之宮・平安京の守り神として平安時代以前より京都・洛北に鎮まります我が国最古の神社の一つであります。
その姿を現在に迄守り伝えられる事が出来た理由の一つが他ならぬ「式年遷宮」の制度にあると聞き及んでおり、遥か壱千年の昔より神社の社殿等を永遠に保つシステムを構築された先人の叡智には、ただただ敬服するところであります。しかし、その制度も戦後は官営にて行うことが廃され、以降神社と氏子崇敬者各位の浄財にて行われてきましたが、此の度平成二十七年に第四十二回目を迎えるにあたり神社崇敬会を母体とした奉賛会を結成する機運が各界より高まって参りました。

私は、ご縁あって平成八年の崇敬会発足よりその会長職を仰せつかっており、今回奉賛会結成にあたって多くの皆様から本会の会長にも推挙され就任させて頂きました。
崇敬会会長は基より本会会長職も大変な大役である事は重々承知致しておりますが、お引き受けした以上全力を挙げて来る平成二十七年の第四十二回式年遷宮が無事斉行出来るよう努力して参る所存でございます。

世界文化遺産に登録された上賀茂神社は、正に世界に誇れる神社であり、日本の麗しい国の姿の象徴と致したいと考えております。
その象徴を後世に迄顕彰する方策が、趣意書にお示し致しております諸事業の実施でありますので、何卒皆様方には絶大なるご助力・ご奉賛のお願いを致し、会長としてのご挨拶とさせて頂きます。

賀茂別雷神社 宮司
田中 安比呂

皆様には当神社御祭神・賀茂皇大神のご加護のもと益々息災にお過ごしの事とお喜び申し上げます。
当神社では、いよいよ平成二十七年に奈良時代より数えて第四十二回目の式年遷宮を迎える事と相成り、その奉賛会も結成されまして諸準備に取り掛かり始めた処であります。

「式年遷宮」を行う意義については趣意書にも明記致しておりますが、皆様にはその根底にある心というものを先ずご理解頂きたいと存じます。それは、一に我々日本人の生活の基本を為す「敬神崇祖」(神様を敬い祖先を崇める)の生き方と、二に鎌倉時代に編纂された『御成敗式目』の第一条に定められた「神社を修理して祭りを大切にすること」(神は敬う事によって霊験があらたかになる、であるから神社を修理してお祭りを厳粛に行う事が大切である、そして又供物は絶やさず昔からの祭りや風習もおろそかにしてはならない)という戒めと、三に松尾芭蕉の残した言葉の「不易流行」という、やり方・方法は時代と共に変われども、物事の本筋・根本は絶対に変えてはならないという考え方であります。

式年遷宮とはこの三つの事柄を具現するものであり、やり方こそ変化しても基本の二十一年毎に社殿等を改め清浄を保ち神を敬い厳粛に祭りを行う、この繰り返しこそが日本文化の継承・我が国の安寧に繋がると言えます。
どうか皆様には、今後も不変で伝えていかねばならない心をご理解賜り、御奉賛のお気持ちを頂戴できましたら幸いに存じますので、伏してお願いを申し上げましてご挨拶申し上げます。

 

賀茂別雷神社社史(抄)

元号 西暦 事項
      神武天皇の御代、神山に御降臨・御鎮座
欽明天皇の御代、賀茂祭(葵祭)始
白鳳 六七八 山背国が賀茂神宮を造営
延暦 十三 七九四 賀茂社行幸(参拝)、天皇行幸の始
大同 八〇七 神階正一位(神様の位の最上階)授与
弘仁 弘仁 九二七 延喜式神名帳(神社の調査票)に記載
長元 一〇三六 後一條天皇の御代、以後二一年毎式年遷宮を定められる
寛治 一〇九三 宮中武徳殿の競馬奉納・賀茂競馬の始
寿永 一一八二 神主・重保曲水宴を設く(賀茂曲水宴の基)
  一一八三 源頼朝下文により諸国の荘園を安堵
建暦 一二一二 賀茂斎院礼子内親王退下により斎王廃絶
健武 一三三四 後醍醐天皇賀茂社行幸・以後孝明天皇まで断絶
文明 一四七六 本殿・諸社殿焼失
天正 一五七四 織田信長賀茂競馬に馬を出す
  十九 一五九一 豊臣秀吉により御遷宮
慶長 一六〇〇 徳川家康賀茂社参拝
  十五 一六一〇 駿府城の徳川家康に葵献上・「葵使」の始
寛永 一六二八 後水尾天皇・東福門院の御願により徳川秀忠御造営
宝永 一七〇八 内裏(御所)災禍により、東山天皇細殿を行在所とされる
文久 一八六三 攘夷祈願の為、孝明天皇賀茂社行幸、将軍・徳川家茂は諸侯を率いて供奉。二一年毎の式年遷宮の勅あり本殿・権殿御造営
慶応 一八六八 王政復古の奉告の為、明治天皇賀茂社行幸
明治 一八七一 官幣大社の首位に置かれる
  三十四 一九〇一 古社保存法に基づき、本殿・権殿等が特別保護建造物に指定
昭和 二十八 一九五三 本殿・権殿が国宝、三十六棟が重要文化財に指定
  三十一 一九五六 賀茂祭行列に斎王代を中心とする女人列復興
  四十八 一九七三 第四十回式年遷宮斎行、桧皮屋根葺き替え
平成 一九九四 第四十一回式年遷宮斎行、御神宝新調天皇皇后両陛下賀茂社行幸啓。「古都京都の文化財」の一つとして当神社全域が世界文化遺産に登録
  十八 二〇〇六 古文書一括が『賀茂別雷神社文書』として重要文化財に指定
  二十七 二〇一五 第四十二回式年遷宮(正遷宮)斎行

神話

神話
数千年前の神代の時代に遡ること天上で雷鳴が轟き、一本の丹塗矢(にぬりのや)が降って参りました。
神話
その矢が瀬見の小川(現在の賀茂川の上流)を流れて来た時、そこで身を清めておられた賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと)はその丹塗矢を不思議に思いお持ち帰りになられます。
神話
その矢を丁重に扱われ、床に挿されておやすみになられたところ、矢に籠もっていた不思議な力によってご懐妊され、立派な男児をお産みになられました。
神話
お生まれになった神を当初は御子神(みこがみ)と申し上げ、成人を祝した七日七晩の宴が外祖父、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)に依って催されます。
その際に「父と思う神に盃をすすましめよ」と外祖父は仰られますが、御子神は「我が父は天神(あまつかみ)なり」と言って盃を天上に向けて投げ、甍を破って雷鳴とともに天へ昇ってしまわれました。その時に名付けられたのが賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)つまり上賀茂神社の御祭神です。
神話
母神は突然の昇天に嘆いておやすみの際、夢の中で「葵を飾り、馬を走らせてまつりをせよ」との別雷神のお告げを聞き、その通りにされたところ立派な成人のお姿となり、境内北方二㎞先、神山(こうやま)にお降りになりました。
そこでおまつり事が始まった事が上賀茂神社の起源であります。
 

式年遷宮

賀茂別雷神社第四十二回式年遷宮並に平成の御造修趣意書

当神社は、神代の昔 秀峰神山に御祭神・賀茂別雷大神がご降臨されたことを起源とし、 その後天武天皇の御代(六七八年)に現在の社殿の基が造営されて、平安京遷都以降は 皇城鎮護の神・山城国一之宮として、現在では農耕守護・厄除開運・方除・電気産業守護 の御神徳により皇室はもとより多くの皆様方に尊崇され、「上賀茂神社」として慕われる 神社です。

平安以前よりの清浄な境内には、大神の鎮まります国宝に指定された本殿を中心に、同じく 国宝の権殿と国の重要文化財の多数の社殿を配する賀茂造りの佇まいと共に、五月十五日の 賀茂祭(葵祭)他年間七十数度に及ぶ神事が現在まで連綿と継承され、平成六年十二月には こうした先人達の弛みない努力の結晶として境内全域二十三万坪が世界文化遺産に登録され 広く認知されるに至りました。

当神社境内の六十棟に及ぶ建造物を維持する為に、朝廷は格別の尊崇により伊勢の神宮に代 表される『式年遷宮』の制度を設けられました。
この『式年遷宮』を行うその目的は、神社の尊厳を維持する中心である本殿以下の社殿や御 神宝を今後も変えることなく継承する事が第一で、また多くの参拝者に大神様の尊い御神威 に触れ感じて頂く発信基地且つ重要施設である勅使殿・社務所・古文書収納諸施設等を整備 ・拡張する事も不可欠であります。
此等の目的を達成することが、我々が先人から受け継いでいる国宝・重要文化財建造物並に 平安時代から続く諸祭事といった我が国の伝統文化を後世に継承する使命を全う出来るもの と確信致しております。

茲に、第四十二回式年遷宮並に平成の御造修の事業概要を次に掲げ、氏子崇敬者の皆様を始 め全国各地から熱誠溢れるご奉賛の誠を賜り、此等の大事業を完遂致したいと存じます。
特に耐用年数を悠に越え尊称著しい檜皮葺き社殿の屋根葺き替えは急を要するものであり、 文化財愛護と上賀茂神社を愛する皆様にはこの趣旨に何卒ご理解とご賛同を頂き、絶大なる ご奉賛を賜りますようお願い申し上げます。

平成二十年四月吉日

賀茂別雷神社第四十二回式年遷宮奉賛会
会長  千 玄室
賀茂別雷神社
宮司  田中 安比呂
各位

第四十二回式年遷宮並に平成の御造修事業内容及び費用内訳

  • 【第一期事業】平成二十年四月~平成二十八年三月

    国宝・重要文化財建造物桧皮屋根葺替実施   十億円

    楼門丹塗現状

    本事業の中核で急を要するもので、国宝本殿・権殿以下重要文化財建造群物の桧皮屋根の葺き替えと欠損箇所の修復・楼門等の丹塗り替え・飾り金具の金鍍金も併せて行います

    式年遷宮祭事斉行   四千五百万円

    社殿の屋根の葺き替えに伴う御神霊御動座の祭典で、平成二十七年に仮殿遷座祭及び本殿遷座祭(正遷宮)を斉行します

    社殿の屋根の葺き替え

    未指定建造物桧皮屋根葺替実施   二億五百万円

    文化財指定建造物と建築年代が同じながら文化財として未指定の諸建造物の桧皮屋根を葺き替え、同時に文化財指定に向けての取り組みも行います

    奉祝神振行事実施   二千万円

    平成二十七年斉行の正遷宮を奉祝し、流鏑馬や地域芸能等様々な神振行事を行い、現在途絶えている神事行事の復活に向けた調査をすると共に、新たに地域住民を核とする新規行事や「まつり」を創設します

    【第一期事業費合計   十三億千五百万円】
  • 【第二期事業】平成二十八年四月~平成三十一年三月

    勅使殿・社務所他管理棟整備実施   八億円

    五月十五日の賀茂祭(葵祭)の際、天皇陛下のお使いである勅使をお迎えする勅使殿・斎館の整備、古文書収納庫及び閲覧施設も兼ね備えた社務所(管理棟)を時代の要請に併せて複合的な施設とすべく整備を行います

    勅使殿

    重要文化財古文書修理実施   三千五百万円

    修理が待たれる古文書(源頼朝下文)

    重要文化財に指定された凡そ一万四千点の古文書群の中でも貴重な巻子二十五巻の、虫食い腐食装丁等の修理を行います

    山林他境内他整備実施【一・二期継続】   四千万円

    二葉葵群)

    今後の桧皮屋根葺き替え・社殿修理に供すべく、桧林拡張整備し、当神社祭祀の根幹となる「葵」の森を境内に再生する環境を整えます

    【第二期事業費合計   八億七千五百万円】
    事業費総額   二十三億円也(諸経費一億一千万円含む)
    準備金・補助金等   十三億円
    奉賛募金依頼額   十億円也(第一期  七億円、第二期 三億円)
 

ご奉賛のお願い

奉賛会員種別並びに待遇
会員種別 奉賛金額 芳名銘板
顕彰
祭典案内 奉祝行事
案内
感謝状 特別参拝 記念品
葵特別名誉会員 1千万円以上 仮遷宮祭 終身
正遷宮祭
奉幣祭
特別名誉会員 5百万円以上 仮遷宮祭 終身
正遷宮祭
奉幣祭
名誉会員 3百万円以上 仮遷宮祭 平成35年迄
正遷宮祭
奉幣祭
特別有功会員 百万円以上 仮遷宮祭 平成35年迄
正遷宮祭
奉幣祭
有功会員 50万円以上   正遷宮祭 平成30年迄
  奉幣祭
特別正会員 30万円以上   正遷宮祭 平成30年迄
  奉幣祭
正会員 10万円以上 正遷宮祭   平成30年迄
  奉幣祭
特別維持会員 5万円以上         平成28年迄
維持会員 3万円以上         平成28年迄
賛助会員 1万円以上         1回
普通会員 5千円以上         1回
協賛員 5千円未満          
  • 全会員のご芳名は永久に保存致します
  • 申込額を社頭に掲示させて頂きます
  • 五千円以上の奉賛をお願い申し上げます
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